ミオの備忘録

猫と音楽とミステリー、映画が好きです☆

泥舟にのって

 忙しくて時間外がヤバいことになった日、帰って、シャワーして、ぼそぼそと晩ごはん食べて、寝て、次の日は普通に起きて、弟が起きてることを確認して、それから仕事に行くのを見送り、ふたたび二度寝、雨の音を聴きながらゴロゴロしていたけど、どうにもこうにも仕事してる夢ばかりみて、なんとなく起きる。

 朝ごはんをカリカリ食べて、布団にもぐって、スマホを眺めながら過ごして、うとうとして、なんだかんだ昼過ぎに復活。なにも作る気がしねぇと思いながら、ふだん乾麺をストックしてある籠を探したらレトルトカレーがあったので、あたためて食べる。あたたかいごはんは正義。おなかが満たされると、ようやく復活してきた。

 最前線でなくとも、持久戦かつ長期戦、さらには消耗戦な日々です。もうすでにコロナ禍以前の仕事が思い出せなくなってきてる。(その時はその時で、日々忙しかったわけで……もともとギリギリでまわしていたところが、まわせなくなってきただけなんだろうな。本当に。)

 「こんなご時世」「どこも大変なんだから」「わたしたちが頑張らないと」っていう、なけなしの職業意識や倫理観で頑張っているけど、そろそろ辞めていくひとも出てきたり、いやむしろここまで良くがんばりましたよ。お互いに踏みとどまった感ある。自分の生活と人生を大事にしてほしいです。

 職場に医療関係者へのメッセージが張り出してあって、ありがたいと思いますけど、あざといというか、ひとの善意につけこんでいるように思えてしまって、こころには響かないです。「これ以上死者がふえないように頑張ってください」って、どうしろと?以外の感想がない。たしかに、救命はわたしたちの仕事かもしれません。患者さんには元気になってほしい。入院前の生活に戻ってほしい。その気持ちに嘘はない。でも、このメッセージについてはもやっとします。そもそも、あたりまえのことですし、それ以上のなにかを求められているのなら、それは医療関係者の仕事ではないですよ?生死をどうにかするのは、ひとの力ではむずかしいです。(ご自身の信仰にすがっては???)

 なんか、ニュースで重傷者数とか死者数とか連日とりあげられてる感じがしますが、本当に気が滅入る。重傷者数が減って、死者数が増えるって、それって重傷者だったかたがお亡くなりになったということでは……? 新型コロナウイルス感染症だけ報道するのもバランスが悪いですし、県内の交通事故死傷者数とか全国の自殺者数とかも合わせて報道するのはどうでしょう?(自殺の推進につながるおそれがある???)

 感染者数が少し落ち着くだけで、本当にダイレクトに影響があるのを感じます。助勤さんが来てくれるだけで、すごく助かる。感染病棟の余裕が、そのまま病院全体の余力になってくる。ニュースをみている余裕もないけれど、体感で察するようになってきました。イヤな慣れかただ。

 病床数を増やすって、上のほうは簡単そうに言うけれど、単純に部屋とベッドを増やせば受け入れ可能な患者数が増えるかっていうと、そうはならないですからね? スタッフが増えないと、やっていけませんからね? なんか「ものすごくイイコトを思いつきました!」みたいに言われても、そのために必要なのものはなにか?どうしたら実現できるか?に意識が向かないひとは、上に立つのに向かないんじゃなかろうか。会社を経営したり、学校祭を運営したりってことをしたことがなくても、普通の想像力というか考えかただと思うけど、なぜにガワだけ整えればあとはなんとかなるみたいに信じられるんだろう。どこかから湯水の如く湧き出てくるのかな。魔法かな。(そのなかみは、すでにいるスタッフのサービス残業で賄われる)(わーすごーい) ひたすら呪詛をはきながら、そんなニュースをみていたのも今は過去。このまま過去に流れて過ぎ去ってほしいです。

 小さな頃は、世のなかを良くしたいという想いがあって、ひとのためになりたいという献身と隣人愛があって、なおかつ賢いひとが政治家さんになるのだと思っていました。少数の声も無視されることなく、考えに値する意見であると取り上げてもらえる、それが民主主義だと信じてた。弱者が見限られることのない社会、強くても弱くても助け合うことで生きていける社会。みんなでしあわせになろうとする社会。

 なんなんでしょうね。今の、みんなで足並み揃えて不幸へ向かっている感じ。こころも経済も貧しくなっていく予感。

 オリンピック開催は、なんだか明るそうな話題ですけど、いまひとつ乗りきれず、どこか他人事で眺めています。少し落ち着いているだけなのに、国外から大勢のひとが入国してくる。世界的にも、まだ収束していないのに。その海外から来たひとが熱発したら?医療機関にかかることになったら?通訳は?支払いは?

 自分が感染していることを分かっていて、周りに感染させるために出歩いてニュースになったひともいましたね。おなじ言語圏の人間にさえ伝わらないというか、他人の行動を簡単には制限できない。ましてや、海外の言葉の違うひとに、わたしたちもまだ馴染むことのできない新しいルールを守ってもらうことはできるのでしょうか。心配です。でも、今のところ開催予定なんですよね? なんか、もう、エライ人たちのメンツとかそのへんの話になってませんかって気がしてなりません。オリンピックって、スポーツを通じての世界平和を希求するものではなかったでしょうか。

 この先、どうなっていくにせよ、ちっぽけな存在でしかない自分は、ただただ大きな流れに流されていくだけです。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 」(方丈記)


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ベベンの方丈記

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お題「#この1年の変化