ミオの備忘録

猫と音楽とミステリー、映画が好きです☆

Try to make the world a better place.

 こんばんは。いつもと違った場所へ自転車を漕ぎながら、とりとめのないことを、つらつらと考えていたわたしです。知らない場所というわけでもないですから、いちいち地図と照らし合わせなくても迷わずたどり着けるし、だからこそ普段は深く考えないようなことに、ぼんやり思いを巡らす余裕もあるわけで………

 空気が冷えて、肌がピリッとして、秋から冬にかけてって良い季節ですね。

 

 少し前にN○Kの番組予告かなにかで「ボディポジティブ」という言葉を耳にしました。「自分たちのありのままの姿を受け入れよう」→「体にまつわる差別をなくそう」という運動のようです。それ自体は、素敵な考えだと思います。でも、なんというか、同時に深い闇を感じました。自分をありのままで受け入れて、満足しているひとは、あえて「ボディポジティブ」という言葉を使ったりはしませんよね? それが「あたりまえ」だから。

 「他人からの評価なんて気にしなくて良いんだよ」って言葉に、他人が自分を評価している、どう見られているのか、どう思われているのかが気になるという気持ちが感じられるのと、少し似ているでしょうか……(場面にもよるかな…)

 あえて言葉で定義して、そこに提示することで、みんなの意識を変えていこうという運動。「太っている」「やせている」「癖毛が手に負えない」「髪が薄い」「肌荒れがひどい」「背が低い」「背が高い」「肌の色が違う」「髪の色が違う」「目の色が違う」みんな違って、みんな良い。………ですよね?

 コンプレックスって、誰にでもあると思います。「もっと痩せたい」とか「可愛くなりたい」とか「脚が細くなりたい」とか……おそらく悪気なく放たれた「ちょっと太った?」あるいは「少し痩せた?」に傷つくこともあるかもしれない。

 だからこそ、「ボディポジティブ」という言葉があるおかげで救われるひとは、いると思います。あなたは、ありのままで充分に価値があるから大丈夫。そのままで良いんだよっていう。

 そうやって、大きな動きになって、流れになって、それが「あたりまえ」になって、言葉自体が廃れていってしまえばいい……そう思いました。

 

 何気なく耳にした言葉への違和感から、どこにひっかかったのか、ぼんやりつらつらと考えたのですが……もしかしたら、わたしの言葉に対する認識にズレがあるのかもしれません。番組自体の「ねらい」みたいなものは何だったんだろう? 観ていないから分からないな……と思って検索したら、番組情報が見つかりました。(🔍NHK ボディポジティブで検索) 『Zの選択』「#ありのままの自分は好きですか」初回放送日: 2021年10月23日(土) Eテレ午後3時30分~とのこと。……………今日では?……(これも、なにかの縁なのかなって録画予約してみました。)(考えを訂正したくなったら、また話題にしますね。)

 

 話がそれてしまいました。そんなふうに、ぼんやり考えていたら、思いは「障がい」の表記ゆれにたどり着きました。「害」と表記するのはネガティブな印象があるから、「障害」ではなく「障がい」あるいは「障碍」と書くことにしよう……という流れがあった…ような……………

 なにが良いとか悪いとかではなく、言葉は時代を映す鏡だなって思います。誰もが生きやすい社会になったら、障がいのある・なしを気にする必要もなくなって、また違った別の表現になっていくのかもしれません……

 

 なにが正解かは分からなくても、考え続けることって大切だと思います。今は、正解が分からなくても、そのうち分かることもあるかもしれません。分からないままかもしれない。ただ、より良い世界を望むなら、考えることを放棄してはいけないと思います。わたしたちの未来は、今現在の選択を積み重ねた先に成り立っていくものだからです。どんな世界を、これからの若いひとたちに遺していきたいですか?

 

 そんなこんなで、自転車を軽快に走らせながら、向かった先は投票所です。期日前投票に行ってきました。今から約100年くらい前には、所得の低いひとに投票権はなかったし、女性にも参政権はありませんでした。現在「あたりまえ」に享受できている権利は、「あたりまえ」ではなかった時代があります。

 

 『投票に行きましょう!』

 

 投票権のあるかたは、選挙に参加しましょう。誰に、どこに投票するのが正解かなんて誰にも分かりません。完璧な選択なんて、存在しない。ひとりひとりの1票は大切で重要だけれど、同時に1票だけでは大した力にはなりません。

 それでも、投票しなければ、なんらかの責任を免れることができる……というわけでもないのです。それは、自分の権利を放棄してしまったという、ただそれだけのことです。選んだからと言って、文句を言ってはいけない……ということもないでしょう。不満があれば、表明して構わない。後世に対しては、今を生きるすべてのひとに責任があります。

 わたしが賢いひとであれば、誰を選ぶのが良いか、どの政党へ投票すべきか、お伝えできるかもしれませんが……なにぶんアホの子なので、「△△はどうかと思うけど、〇〇な姿勢は評価できる」「□□のあたりは賛成できないけれど、☓☓は良い」みたいな感じで、どうにか選びました。どれも同じくらいの良さだったり、どれも選べないくらいイヤなら、いっそのこと「どれにしようかな」で良くないですか?(怒られますか?)

 そして、そのうえで投票および国政の行方を見守っていけば良いと思います。

 

 なんだか、とりとめのない話になってしまいました。本当は、そろそろ通常運転に戻って、映画の感想を……と思っていたのですが、どうにもこうにもモヤモヤして、イライラしてしまって……あるいは、これは無力感に近しいものかもしれませんが……

 政治に対して、ひとびとの興味・関心が高まっている。みなが注目している。そういう空気感というか、そういう流れって大事です。それで、なにも変わらなかったとしても………

 

 今回のブログタイトルは、映画『ズートピア』から引用しました。可愛くて芯のあるウサギの警察官・ジュディが口にする「世界をより良くしましょう!」自転車に乗りながら、自分の考えを振り返りながら、思うことはそれだなって。そこなんだなって。

 記憶のなかでは上記の台詞なのですが、検索しても出てこなかったので原文ママにしてみました。

 

 長々と書いてしまいました。最後まで読んでくださって、どうもありがとう。うまく言葉にできたかは分かりませんが、少しでもなにかが伝わったのなら、うれしいです。

 

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