ミオの備忘録

猫と音楽とミステリー、映画が好きです☆

映画『真夜中の弥次さん喜多さん』

 こんにちは。お疲れさまです。

 夜勤明けに軽く観られるものが良いなって思って、なんとなく配信終了間近の作品リストを眺めてみたら、最初に出てきたのがコチラでした。

 タイトルは聞いたことがあります!すごくおもしろいって?!脚本が宮藤官九郎さんなので、間違いなさそうですね。わぁい!

作品紹介

真夜中の弥次さん喜多さん』(まよなかのやじさんきたさん)は、しりあがり寿による日本の漫画、および同作品を原作とした小説、映画、舞台。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』より題材を得て、リアルと幻覚が入り混じった独特の世界を描いた作品で、続編に『弥次喜多 in DEEP』があり、第5回手塚治虫文化賞・マンガ優秀賞を受賞している。

映画は2005年に公開。脚本も手がけている俳優の宮藤官九郎初映画監督作品で、歌・ダンス・お色気・何でもありのシュールな時代劇コメディー。

映画

  • 監督     宮藤官九郎
  • 脚本     宮藤官九郎
  • 公開     2005年4月2日
  • 上映時間   124分
  • 製作国    日本

あらすじ

ワイルドで男らしい弥次郎兵衛(弥次さん)と美貌の役者・喜多八(喜多さん)は、ディープに愛し合う恋人同士。しかし弥次さんには妻(お初)がおり、一方の喜多さんは重度のヤク中で、“リヤル”を実感することが出来ずにいた。ある時ふとした弾みでお初を死なせた弥次さんは、喜多さんを伴って薄っぺらな江戸の町を飛び出し、参拝すれば全ての困難が昇華するお伊勢様を目指して“てめぇ探しの旅”に出発する。

しかし、行く手には笑いをとらないと通れない関所、おはようからおやすみまで全ての言動を歌い踊ることで表現しなければならない町、アーサー王のとろろ汁屋など奇天烈な関門が待ち受けていた。そして、ついに名峰富士の絶景が拝める吉原にて、最大の試練が降りかかる。

キャスト

スタッフ

(ウィキペディア真夜中の弥次さん喜多さん」より抜粋)

感 想 (ネタバレって、なにがネタバレ?)

 とりあえず、しばらく観ないと分からない展開はウィキペディアを読みにくい色にしてみました。

 今から、17年前の作品なんですね。

 20年前に放送されていたドラマを並行して進めているのですが、なんというか時代感にクラクラします。これが21世紀の作品ってことに。雰囲気としては、80・90年代の空気感かなって思いました。(イメージの問題です。時代に幅が出ている時点で、今ひとつ分かってない感ありますけど。バブル以降で、2000年は越えていない感じ。それでいくなら、2作品とも越えているんですよね………)(検索したら、原作は1994〜2002年にかけて連載されていたみたいなので、まったく的はずれな感覚でもないのかも……?!)

 

 『弥次喜多 in DEEP』を試し読みできたので、部分的に読んでみました。そして、もしかしたら違和感のあった部分は、すべて原作通りだったりするのかもしれない……と思えてきました。たとえば、今はLGBTQという言葉が一般的になっているので、なかなか当事者であっても「ホモ」とは言わないですよね。たぶん「ゲイ」って言う。それに、異性と結婚しているなら「バイセクシュアル」なのでは?(←このあたり、よく分かっていないので検索しながら書いてます)

 だから、フィクションだったら「何をやってもいい」というわけではないけれど、原作通りなら仕方ないかなって感じです。おもしろさに疑問があっても、映画内でウケているなら、そういうものかなって。(そっか、そういう世界線なのね。)

 とりあえず、なんでもアリです。体温が40度くらいあるときに見る不思議な夢って感じがしました。夢よりは、まだ筋が通っていて、起承転結があるけれど………

 

 白黒の時代劇から始まって、現代を交えながらも江戸時代という設定で押し通してしまいます。強気。そして、力業。

 キャストが豪華です。ウィキペディアをそのまま引用してしまうくらいには、いろんな作品で見かけるひとばかり。名前から、姿を思い浮かべることのできるひとばかりです。(なんだか『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』っぽさもあるかなって思いました。キャストさんは、3人くらいしか被っていませんが……)(それに、こちらのほうが公開年が先です……)

 

 「べらんめえ」「てやんでえ」って言い合う場面があって、なんで少ない言葉で通じるんだろうって。検索しました。

 べらんめえ

  1. [感]《「べらぼうめ」の音変化》江戸っ子が相手をののしっていう語。「―、くやしかったらやってみろ」
  2. [名]江戸っ子。「あの男も―に似て居ますね」〈漱石坊っちゃん〉 

 てやんでえ:[感]《「何を言ってやがるんだ」の意》江戸っ子が、相手の言葉を否定するときにいう語。てやんでい。「―、べらぼうめ」デジタル大辞泉(小学館)より]

 なんだかんだで、会話になってるんですね……

 

 最初の白黒映画な場面と弥次さん喜多さんが伊勢へ向かって爆走する場面が好きです。弥次さんとお初のやりとりも。

 弥次さんの夢のなかで、川を戸板が流れていって、それがクルリとひっくり返ると喜多さんが横たわっていて、そして戸板が流れてきて、白い装束を着たのと黒い装束を着たのとが、どんどんどんどん流れてきて、組み合わせによって消えていく……(?)

 ……………パズルゲーム?

 ふたりの着物に描かれている模様が、斬新すぎます。(「おいら」「おめえ」ってコレも原作通りでしょうか?)

 

 それにしても、弥次(長瀬智也)さんがカッコイイです。薬物依存ではないという点で、わりと真っ当な普通人。喜多(中村七之助)さんとは深く愛し合っている仲で、薬物依存の喜多さんを更生させようとしています。喜多さんは、薬物依存。時代劇にあって、金髪。そして、物憂げ。

 お伊勢参りのポストカードを見て、そこへ行けば何もかも解決すると伊勢へ向かうことにした弥次さんと喜多さん。バイクで爆走します。でも、あと少しで伊勢に到着というところで取り締まりにあい、時代にそぐわないということで江戸からやり直しになります。徒歩で戻るよう指導されたのに、電車で東京に向かう弥次喜多。なんでもアリですね。(「東海道中膝栗毛」なんだから、道中を飛ばしてしまったら話にならない……?)

 

 茶屋の娘(おゆき)に心を奪われる喜多さん。でも、おゆきが惹かれたのは弥次さんで……ショーで一緒に歌います。

 その後、弥次さんと喜多さんに諍いがあります。痴話喧嘩の果てに、お互いの手に噛みついて、どういうわけか腕と腕がくっついてしまった。そのあと、伝説の聖剣・エクスカリバーを抜いた喜多さんがつながってしまったお互いの腕を断ち切って、なおかつ弥次さんを殺してしまいます。でも、それは喜多さんにとっての事実で、本当はそれより前に、禁断症状が出た喜多さんをとめようとして、弥次さんは殺されていました。

 「完」

 

 ここで終わるんだ……と思いきや、弥次さんは三途の川あたりで現世へ戻ろうとして、喜多さんは弥次さんを取り戻したくて、自分の思い込みを強化しようとします。弥次さんが生きていることを信じる!信じれば、そこにいる!

 あの世あたりにいる魂が荒川良々さんです。誰も彼もが荒川良々。女も男も荒川良々。たまに召されていきます(たぶん)。 三途の川の源流で泣いていたのは、これまた荒川良々の姿をしたお初(弥次さんの妻)。そして、喜多さんの目の前にいた弥次さん(USO)とお初(死霊?*1 )とのやりとりで「あのとき」なにが起こったのか明らかになります。ほぼ事故では?自害では?そもそも、弥次さんが、妻の他に好きなひとができて、夜中に帰ってこないという不貞を働いたのが原因では?(この際、相手が女か男かは関係ないと思います。) でも、弥次さんの言葉を聞いて、お初は赦します。喜多さんに殺された弥次さんも、殺した相手を恨んではいない。もっと、ふたりで旅を続けたかったという気持ちはあるけれど……

 そして、三途の川・源流のお初(荒川良々の姿)は弥次さん(本物)を通して、「あの世」から「この世」へかえしてあげます。

 喜多さんのもとに戻ってきた弥次さん。

 そして、ふたりの旅は続きます………

 

 小ネタが盛りだくさんで、ひとつずつ拾えたら、もっと楽しめたのかなって思いました。分からなくてもおもしろいっていうのはあって、知らないから楽しめないというものでもないですが……手からとろろを出すアーサー王*2とか。存在自体が、よく分からない。しかも、アルバイトなの……かな………?!

 ピンクのゾウとか。(まゆげがクサイらしい) 検索したら、「「ピンクの象が見える」(英語: "Seeing pink elephants")は、アルコール飲料による酩酊や麻薬などによって起きる幻覚症状の婉曲表現である。本来は英語における表現であり、記録に残された最初の使用例はジャック・ロンドンの自伝的作品『ジョン・バーリーコーン』(1913年)中の記述である。(ウィキペディア「ピンクの象が見える」より抜粋)」喜多さんは薬物で、弥次さんは幻覚キノコで、ふたりとも見えるはずのないものが見えていたってことでしょうか?(はて?)

 

 興味のあるかたは是非!

 そんなこんなで、今日はこの辺りで。また明日!🐥💓

*1:赤い着物で、エクスカリバーを手にした夜叉のような女

*2:衛生的な観点で、絶対に食べたくない。手からとか無理。