ミオの備忘録

猫と音楽とミステリー、映画が好きです☆

映画『最期の祈り』

 こんにちは。お疲れさまです。

 最近は短編映画を割とよく観ているわたしです。職場で配置変更があったり、両親が祖母を連れて帰って来たりで、地味に忙しない。休日も、いつもの過ごしかたが出来ずにいます。(映画やドラマを観るだけのまとまった時間がない……)

 そんなこんなで、Netflixで「短編映画」を検索して見つけたのがコチラ!とても興味深い内容でした。

作品紹介

最期の祈り
2016年 ‧ ドキュメンタリー/短編映画 ‧ 24分

終末期医療の決定。 集中治療室に横たわる患者本人だけでなく、医師や家族にとって倫理的・精神的に困難なこの決断プロセスに向き合うショートドキュメンタリー。

監督: ダン・クラウス

音楽: ジャスティン・メランド

(Netflix公式サイトより抜粋)

感 想 (ネタバレ!)

 興味を持たれたかたは、是非!

 ご自身の目で確認していただくのが一番だと思います。ここでこうして出会ったのも、もしかしたら何かの縁かもしれませんし、わたしにも、あなたにも必要なのかもしれません………

 

 これも他人事には思えませんでした………

 人生の最期をどう過ごしたいか、どういう治療を望むのか、あるいは望まないのか………

 

 アドバンス・ケア・プランニング(ACP*1 )という言葉があります。直訳すれば「前向きな治療計画」といったところでしょうか。最近では、より馴染みやすい言葉となるよう「人生会議」なる愛称が与えられました。

 元気なうちから「もしもの時」について考えたり、家族とカジュアルに話をしておくことで、自分の望む最期を迎えられるようにすることが必要だと思います。人生何が起こるか分かりませんから。縁起でもないこと……と思われるかたも多いかもしれません。でも、家族にキツイ選択をさせないためにも、自分で考えておくこと、方向性を示しておくことは大切です。もちろん、気持ちが変わったって良い。やっぱりこうしたい、ああしたいと思っても良い。その都度、自分の想いを周りに伝えておくことが大事だと思います。

 

 映画のなかで、家族が「正しい判断をしたい」と言っていました。患者にとって、最善の選択であってほしい。治療を続けないことも続けることも、気持ちとしては、どちらも正解だと思います。回復の見込みがなかったとしても、治療をやめる選択はしがたい。本人の希望が「余計な治療をしたくない」だったとしても、細い望みをつなげたい、神様の奇跡を信じたいと思ってしまうのが家族なのかもしれません。

 きっと、それは当事者になった誰もが思うことです。

 でも、横から眺めているだけの部外者が思ったのは、正しい判断なんていうものはないということです。それは誰にも分からない。ただ、自分たちの選択が正しかったと信じるしかない。

 

 ある患者さんは、気管切開をしないという選択をしました。チューブをはずしてほしい、ミトンをはずしてほしいと、ずっと訴えていた。そして、呼吸を補助する機械をはずして、程なく亡くなってしまいます。それでも、彼女は自分の意志を表明することができて、自分の思う最期を迎えられたということです。

 また、ある患者さんは気管切開をするという選択をしました。ずっと機械につながれることになりますが、それから6ヶ月生きることができました。その間には、意識がはっきりしていることもあった。それもまた、本人の思いが反映されている。

 

 なんだか、30分足らずの短い番組でいろいろ考えさせられました。今の仕事についても、鈍感になってはいけないなって。初心にかえって、またがんばろうと思います。

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©Netflix

 デデーン

 

 そんなこんなで、今日はこの辺りで。また明日!🐥💓

*1:ACP(Advance Care Planning)とは、将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援するプロセスのことです。死期のいかんではなく、最期まで尊厳を尊重した人間の生き方に着目した最適な医療・ケアが行われるべきだという考え方により、厚生労働省は、平成27年3月に「終末期医療」を「人生の最終段階における医療」という表現に改めました。(「日本医師会」公式サイトより)