ミオの備忘録

猫と音楽とミステリー、映画が好きです☆

映画『HOKUSAI』

 予告を観て、気になっていました。そこで、こんな御時世ではありますが、平日ならそんなに人出もなかろうと父と映画館へ観に行きました。本当は『名探偵コナン』と迷ったんですけど(絶対、観に行きたい)、そちらは上映本数が1日に何回もあるので、そんなにすぐには公開終了にならないはず……と期待をこめて予測してみます。

 なんだか、感覚に訴える割には、頭をつかうことも同時に強要されているような……なんというか観たあとで、すごく疲れました。アホでごめんね、という気持ちです。(←我ながら軽いなぁ)

作品紹介

『HOKUSAI』(ほくさい)は、2021年5月28日に公開された日本映画。

監督 橋本一

脚本 河原れん

製作 中山賢一

音楽 安川午朗

撮影 ニホンマツアキヒコ(撮影監督)角田真一(撮影)

監督は橋本一、主演は柳楽優弥田中泯で、それぞれ柳楽が青年・壮年期、田中が老年期の葛飾北斎を演じる。

本作では北斎の版元である蔦屋重三郎北斎の盟友である柳亭種彦とのエピソードを軸に、「人間・北斎」と、北斎が描いた「3つの波の秘密」が生まれるに至った物語を描く。

キャスト 

(ウィキペディア「HOKUSAI」より抜粋)

感想というかネタバレというか

🐾🐾🐾🐾🐾🐾😼🖌️🌊🐙📒

 章立てされていて、「第一章」「第二章」といった具合に、素敵な筆文字で表現されています。

 「第一章」では、青年・壮年期の北斎(柳楽優弥)が蔦屋重三郎に見出され、負けん気に火をつけられたりしながら、自分の絵を見つけていく過程が描かれます。

 幕府の取り締まりによって、店の本が没収されて、燃やされるという場面があって、なんだかイヤな感じがしました。本を燃やす為政者は、そのうち人をも燃やすようになるっていうのは、誰の言葉でしたっけ……

 阿部寛さん演じる蔦屋重三郎がカッコ良かったです。お上に目をつけられながらも、自分の良いと思ったものを商う。海外展開も視野に入れていて、根っからの商売人ですね!

 喜多川歌麿(玉木宏)や東洲斎写楽(浦上晟周)を囲んでの宴席の場面は、とても華やかで、良いなぁって思いました。写楽、カッコイイです。なんというか、世渡り上手な感じがしました。どちらかといえば、人づきあいは苦手そうな北斎とは対照的です。

 

 自分の殻を破って、画風を確立した北斎。妻を娶ったり、子が産まれたりします。仕事も順風満帆。弟子もいて、先生と呼ばれるまでになります。

 そして、柳亭種彦(永山瑛太)との出会い。最初は、種彦の姿は出てこず、ただ作品が北斎のもとに持ち込まれて、それにすっかり惹きこまれて読んでいるところで、その章は終わります。

 

 次の章では、老年期の北斎(田中泯)を種彦が訪ねてきます。

 映画館で観ながら、このあたりから混乱してきました。前の章で産まれたばかりだった子どもが大きくなっているし、北斎も年を重ねているし、30年くらい経過してますよね?

 そもそも基本的なところを知らないので、アレなんですが、種彦っていくつなんでしょう?少なくとも、30年前に作品を書いているなら、50歳は越えているはず……………見えませんね……

 それなら、北斎の見た目はともかくとして、30年経過しているというのが思い違いで、実は20年くらいしか経っていない……?!でも、そのあとで30年が経過している雰囲気の台詞が北斎から出てくるので、やっぱり30年は経ってるじゃないですか!と、こころのなかで思いました。あまり親切じゃないです。(章立てするなら、一緒に「三十年後」とか、せめて「(漢数字で西暦)年」とか出しても悪くないんじゃないかなって思いますけど……)

 すごく気になったので、ウィキペディアで検索してしまいました。北斎と種彦の年齢差は、だいたい23歳。種彦が初めて出版したのが、24歳のとき。亡くなったのは60歳で病死とされています。北斎が70歳なら、種彦は47歳。

 ただ、同時に気になりつつもずっと思っていたのが、北斎の目には種彦がそう見えるっていうことです。つまり、23歳近く年下の友人のことは、時間が経っても若いときのままの姿で見えていた……のか?(さすがに無理がないですか?)(自分の子どもは成長しているのに)

 「絵で世のなかを変える」っていう想いが、蔦屋重三郎さんから北斎へと継承されたように描かれていましたが、そもそも北斎さんって、そんな思想をお持ちでしたか? 本人に会ったことがないので、確かなことは誰にも言えない。でも、残された資料から分かることもあるはずです。

 種彦さんは、病死ではないのかな……(映画では、首から上がなかったですね)(介錯されたなら切腹したのだろうし、違うなら斬首されたのだろうし)

 

 北斎が卒中で倒れたり、そのあと震える手で筆を持ったりする場面があって、スケルトンな机だなって思いました。(下からあおりで撮影するための効果ですよ。たぶん。というこころの声)

 

 あと、順番は忘れてしまったのですが、おそらく新しい青に出会った場面。北斎さんは、雨のなか外へ出ていって、たいへん喜んでいる様子なのですが……心配で仕方ありませんでした。青って、この時代、高価だったんじゃ……?うれしげに青に染まってみえますが、大丈夫でしょうか。まぁ、楽しそうでなによりです。(検索したら、大量輸入による値段下落をきっかけに流行になったそうなので、そんなにお高くはないのか……)(思う存分に浴びてください)(お風邪は召されませんよう)

 

 それから、最後の見せ場と言いますか、小布施で北斎が『男浪』『女浪』を描く場面。わぁい、分身の術。ふたりで描けば早いです。スゴイなー。(というか、実際にふたりで描いてるわけではなくて、演出ですよ。たぶん。というこころの声)

 なんだか、とっても舞台的な演出だなって思いました。北斎さんは、ひとりの人間なので、若いときと年を重ねたときとで分断されているわけではなくて、これまで流れてきた時間のなかに10代の北斎さんも、20代・30代の北斎さんも、40・50・60代の北斎さんもいるわけで………それらは、連続した時間のなか、今の北斎さんにつながっているのではないでしょうか……?

 だから、たぶんオーバーラップとかなら、観ながら茶々が入ることもなかったかな……と思いました。二重写しというか。老境の北斎さんが一心に筆をふるっているところに、気づけば北斎(若かりし日の姿)になっている……みたいな感じが良かったな。分身でなく。

 

 でも、語りたくなる作品というのは、良い作品ということなのかもしれません……考えてみれば、葛飾北斎そのひとについて、わたしは何も知りません。有名どころの作品とか、名言とか、何度も改号していたとか、何度も転居していたとか、それくらいです。せっかくなので、これを機に北斎について学んでみるのもいいかもしれませんね。夏休みの宿題にします!🦋

 

映画『HOKUSAI』公式サイト 気持ちを込めて公開中